こんばんは。紅茶ホビットです。
今日は雨もそんなに降ることもなく、気温も高かったので、うちに帰ったら洗濯物も幾分乾いているだろうと予想をしていたら、ほとんど乾いてなくまぁびっくりです。
化繊のものはちょっとアイロンかければ問題ないんですけど、綿のタオルがもうどうにもならないですね。
梅雨が明けたらタオルは一新しますかね。
今でこそイギリスは紅茶大国ですが、もともとはイギリスもポルトガルの王女様のキャサリンさんが嫁入り道具と一緒にお茶を持ってきたことがきっかけです。
では、ヨーロッパに最初にお茶を持ち込んだのはどこだったのでしょう。
それはお茶自体を広く伝えたのはオランダだといわれています。
17世紀はポルトガルやオランダがアジア貿易を盛んに行っていた時代、中国やジャワ、マレーシアに、日本と行き来している中、ポルトガルが衰え始めたころオランダがその勢力を増し、より活発化していきました。
皆さんもご存じの通り、オランダは長崎の出島から日本との国交も許されていたので、日本の茶の湯の文化も伝来していたようです。
オランダは東インド会社を設立して中国からお茶を買い、それをアムアステルダムへ持ち帰っていくんですね。
そうしてフランス、ドイツ、イギリスへと伝えられていき、イギリスが一番紅茶文化が定着するんです。
イギリスの場合はキャサリンさんの影響や、男性がコーヒーにうつつを抜かしている間に女性の社交の場の飲み物として広まっていったのがタイミングとして波に乗っていたのだと思います。
もともとイギリスもオランダからお茶を買っていたのですが、そこはイギリスの高貴なプライドが許さなかったんでしょうね。
オランダと戦争起こしちゃうんですよね。
結果だけいうとオランダとの戦争に勝利したイギリスが中国との貿易を優先的に行うことになり、イギリスの東インド会社が中国とのお茶の直接貿易をすることになるんですね。
この後インドでアッサム種を発見したり、中国とアヘン戦争したりと大忙しになってくるのは以前の記事にアップした通りです。
こうやって昔々の話を探っていくと、イギリスって紅茶のためにいろんな国を蹴落としてることがわかりますね。
こう見るとイギリスにはどんな麻薬がはびこるよりも紅茶がなくなったときの方が恐ろしいですね。
紅茶をたどっていくといろんなところが繋がっているのがわかってきますね。
苦難の道のりの果てに手に入れたお茶は、どんなに魅惑的な味わいだったことでしょうね。
今では簡単に購入できる紅茶ですが、じっくり思いをはせて飲んでみることにします。
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