こんばんは。紅茶ホビットです。
朝に雨も上がり午前中から洗濯物も干せて、カラッと部屋の空気も入れ替えられました。
夏らしい中、あずきバーを口にしながらブログを更新するのがこのところのルーティーンになりつつあります。
最近のあずきバーは柔らかくなって食べやすいですね。
さて、最近は紅茶の飲み方も本当にいろんな飲み方がされるようになりましたよね。
それと同時にいろいろなことに目が行くようになって、クリームダウンしたやら、渋くて飲めないやらいろいろなことを言われてしまっています。
今日はそういったことって本当に問題視することなのかということについて考察してみようと思います。
その飲み方は紅茶の本質の飲み方なのか
お茶を飲んでいて様々なことにこれは問題じゃないといわれることが起こりますが、それは本来の飲み方でしょうか。
アレンジをすることで起こっていることはそれは淹れ方の問題であって、紅茶自体の問題でないというのが僕の結論です。
紅茶にとって異質な淹れ方をしたり、異物を入れたりするから起こることを指摘してこうなったら嫌だというのが現在の状況だと考えています。
先に書いたクリームダウンはまさにその典型ですが、お茶は本来熱いお湯で淹れて、暑いものをいただくのがお茶の本質をつかんだ淹れ方です。
それをアイスティーにして飲むのはお茶自体にとっては異質な淹れ方をされたから白く濁っただけでしょう。
お茶を飲むのは熱いうちに飲むのが本来の飲み方なので、時間がたって濁るのは至極自然なことです。
あくまでも物理現象として起こっていることなので、本来の飲み方をしていればそこに問題点としてみることはないんですよね。
飲む側の好みを要求しすぎ
紅茶に限ったことではないと感じますが、個人個人の理想を対象物に要求しすぎなところが見受けられるのではないでしょうか。
紅茶自体を知ろうとすればどういうことをするとそのお茶自体の良さを引き出せるか考えていくと思うのですが、自分の理想に当てはまらないものは問題だとラベリングされてしまっているかわいそうなお茶がたくさんいます。
もちろん好みの問題は除いてです。
アレンジをされてそれが美味しいとされているお茶もあるでしょうが、それホントにお茶の味しますかという飲み物もあると感じています。
お茶をお茶として認識されているお茶が人々の味覚に、知識に、ちゃんと根を張っているわけではないというのが現状なのだろうというのが今の感覚値です。
まとめ
熱湯を入れて茶葉がしっかり蒸らされればそれがお茶の美味しさの神髄なんですけど、それに魅力を感じないというのが現状なんでしょうね。
今年の紅茶なんて本当に美味しいお茶ばかりが専門店様に並んでいるのにもったいない気がしています。
加工食品に慣れ過ぎた舌はなかなか受け入れられないんでしょうかね。
お茶って植物のエネルギーが凝縮され部分をいただいているので美味しくないわけがないんですよね。
もっとお茶本当の魅力が広がればいいなと感じています。
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