【本格インド紅茶の輸入のパイオニア】紅茶商人からリトルインディア形成に貢献したインド人

紅茶の文化

こんばんは。紅茶ホビットです。

久々にチャリに乗って外出してきました。

結構肌寒くてもう一枚上着を着ておけばよかったなかなという感じでした。

必要な買い出しをし、家の片づけをし、また快適な部屋へと更新を続けています。

もうベッド環境がよくなりすぎて、冬場は起き上がれなくなりそうです。

今でこそインドのダージリンやアッサムといった良質な紅茶を各専門店様が直接取引で輸入していますが、かれこれ2~30年の話がほとんどです。

それよりも前からインドの紅茶を輸入していたインド人が西葛西を拠点にリトルインディアまで形成する貢献をしたという記事を見かけたので、今日はそれについてみていこうと思います。

時はさかのぼること1978年ジャグモハン・チャンドラニさんというインド人が、紅茶の普及を目的に日本へやった来ました。

当時日本で飲まれている紅茶はリプトンやトワイニングといったイギリスの大手メーカーの紅茶が飲まれていたといいます。

日本の紅茶輸入が自由化されたのが1971年のことだったので、チャンドラニさんは希望に満ちた商売を胸に日本で紅茶の輸入をしようとやってきたとのことです。

ホテルへの売り込みをしても大手イギリスメーカーをどこも取り扱っていて、今もさほど変わらないかもしれませんが、当時の日本は紅茶=イギリスの概念が出来上がっていたようなんですね。

そこでチャンドラニさんは差別化を図り、紅茶のトータルプロデュースをしようと紅茶に合ったカトラリー、クロス、サーブの仕方を提案することにしたんです。もちろん茶葉の豊富さを強みに日本人に合ったアレンジなども提案したそうです。

結果的には味の分かる方はどの時代、どこにでもいるのでそういった人たちに受け入れられはじめるんですね。

軌道に乗れば後は輸入業として確保したいのが保管場所・倉庫が必要になり、白羽の矢が立ったのが当時西葛西が新駅として開発されるということでした。

拠点を西葛西に決め事業も順調に進み、1981年には「シャンティ紅茶」の設立をし、ホテルにレストラン、カフェや大手デパートの顧客をつかみインド紅茶を代表するブランドへと成長するのです。

そうこう紅茶の輸入卸の事業もうまくいっていたチャンドラニさんですが、皆さん覚えていますでしょうか「2000年問題」。コンピューターが2000年になるときに1900年と誤作動を起こすのではないかということで、IT関連の業務が超多忙だったことを。

当時その問題を解決すべく、インドからは優秀なエンジニアが日本に来ていたようなのですが、日本各省庁や大手企業が西葛西近辺のマンションに住まわせてくれた人もいれば、自分たちで住まいを探さなければならない人たちもいたようです。

そこでチャンドラニさんの長年の日本での功績が彼らの助けになり、賃貸物件の契約保証人になったり、食べ物のあうあわないで困っていたところにインドからプロの料理人を呼び寄せてお店を開いたり、と尽力尽くしていったそうです。

かくしてエンジニアの諸君たちも企業に功績が認められたようで、長期契約を結ぶ運びとなり彼らの家族が来日して生活するようになったそうです。

そうするとその家族のためにチャンドラニさんは、今度はインド食材店を作ったり、インドのテレビ番組を引っ張ってきたり、子供たちのためにインド人学校を設立したり、ヒンドゥー教の寺院を設けたりと、怒涛の生活インフラを整えていったんです。

最終的にはヒンドゥー教の新年を祝うディワリーという祭典を行うまでに至り、現在毎年10月に「東京ディワリフェスタ」という西葛西の風物詩になるまで成長したんです。

かく言うチャンドラニさんは「在日インド人の父」とまで言われるようになったんですね。

紅茶の商人として来日した方が、在日インド人たちのパイオニアとして日本のリトルインディアを形成するに至る功績は計り知れませんね。

本物のインドを体験するならぜひ西葛西へ行ってみてくださいね。

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