【変なバイアスかけてない?】知識を得るとなりうる偏見を持った見方

紅茶の文化

こんばんは。紅茶ホビットです。

関東は梅雨入り前に大分気温が上がってきましたね。

しばらくは暑い日が続く予報になっていますが、天気は晴れ間の出る日があまりありませんね。

明日は梅雨前の洗濯日和です。

ベッドリネンは洗ってしまってスッキリとしてしまいたいところです。

さて、紅茶の知識が増えていくことで紅茶の話が楽しくなることが多くなりますよね。

しかし、自分の知識と違うことが出てくるとそれって違うじゃんと一辺倒に否定することが起こることがあります。

今日は紅茶の知識が増えてきた紅茶通が陥りがちなバイアス脳について考察してみようと思います。

基本は基本

基本的な淹れ方や飲み方を押さえると、紅茶も美味しく飲めるようになってきますよね。

そこで自分の知った基本的な淹れ方と飲み方以外の方法と接するときが必ず出てきます。

その時に「それって基本から外れた間違った方法だよ」と完全否定してしまうバイアス脳になっている状態の方がいます。

自分の知識に自信があるからこその発言だと思うのですが、基本は基本でそれを発展させてより美味しい淹れ方や飲み方というのを研究した結果、別の方法を考え出した方法というのも存在します。

こういった自分の持っていない知識に触れた時に、実際に比較してみて検討した結果、それを受け入れられるかどうかの判断をするというのはありだと感じます。

自分には合わない方法だったということだけで、それが間違った方法とカテゴライズするのは紅茶の将来を狭める考え方になってしまうのではないかと思っています。

自然淘汰もある

それとはまた別に、明らかにそれはちょっと紅茶には合わないよねということは、実際にあるのも現実です。

例えばコーヒーフレッシュが紅茶についてきてしまうという状況はいまだにあるのでしょうか。

これはさすがに相性の問題ですよね。

こういった明らかに美味しくない組み合わせがある場合は、飲みたいと思う人が次は頼まなくなるので、必然的に自然淘汰されていく方法ではないでしょうか。

専門店として提供していないとこういうことはたまに起こりうる状況ですよね。

まとめ

これは正しい、間違っているという個人の正義感での判断は時としてバイアスがかかった状態での判断であることも往々にして起こります。

まずは自分の好みにはあうあわないというところから見ていくようにしていくといいのではないのでしょうか。

すべてを受け入れる必要はないと思いますし、自分は違うと思うのは個々の自由なので個人的に違うと思うのは全然問題ないとは感じます。

ほかの人に自分の意見を受け入れされるような状況は避けたいですよね。

場所も年代も変われば方法も変わるということを念頭に入れておきたいところですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました