【カップを持つのに見栄はいる?】改善したカップをいまだに改善して使わない理由は?

紅茶の文化

こんばんは。紅茶ほびっとです。

今日は秋晴れの気持ちいい天気でしたね。

気温も程よく過ごしやすい一日でした。

洗濯物もカラッと乾いて、掛け布団もふっくらして、ようやく秋の気持ちのいい季節を満喫でいるようになりました。

さて、日々いろんなものがよくなっていく世の中ですが、中にはよくなったものに対応しない現象もあります。

紅茶の中で、僕はずっとなぜわざわざ改善したものを改善した通りにしないんだろうと思うことがあります。

それはティーカップの持ち方です。

マナーにも取り上げられているのでしょうが、明らかにわざわざ大変に持つ意味は何だろうとひいてしまいます。

今日はティーカップの持ち方について考察してみようと思います。

カップは時代とともに変化した

カップの変遷を知る方は紅茶を好きな方でもより深く紅茶の歴史について学ばれた方だろうとお察しします。

カップはもともと茶器自体も中国に倣った茶器を初期では使っていたので、それがヨーロッパで自分たちで作れるようになり、より使いやすさや美しさを研鑽することで現代の素晴らしいカップが作られるようになりました。

もともとはカップも小さく、取ってすらないものでお茶を飲んでしました。

それがカップ自体が大きくなり、取っ手が付き、より大きくなり手に持ちやすいよう工夫をされるように作られていきました。

現在作られているティーカップはマナーとしてつまむように設計されたティーカップではなく、その大きさ故指を通して持てるように設計されたティーカップです。

今お持ちのティーカップが指を通すように作られたものであれば、カップを落としそうな危なっかしい持ち方をするより、しっかりと持って美味しく紅茶を楽しみましょう。

小さなカップやおまけの取っ手はつまむ

皆さんが一番指摘するところでは、本番のイギリスではみんなつまんでいるじゃないかというところでしょうが、お手元のカップを良くご覧ください。

ティーカップは小さく、取っ手の小さなものがデフォルトです。

取っ手に至っては飾りのようなものです。

カップはつまむのがマナーなのではなく、つまむことしかできないが正しい表現です。

指の入るカップならば指をいれるでしょう。

先入観で見ようとせず、そこにある現象をそのまま拾えばそうせざるを得ないのが理解できます。

物自体や作り手の考えをくみ取ればそれはつまむのか指をいれるのかは自ずと自然に持ちやすい方を選ぶようになります。

まとめ

見た目に気を取られて本質をとらえられないところなのかなと、カップの持ち方はこうだといっている方を見ると感じます。

一辺倒につまむのが美しいと感じられているようですが、見ていて危なっかしいです。

自分の所作の美しさより、カップ自身を大事にしてあげてと切に思います。

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